大砲を肩に担いで

 砲兵は大砲の部隊であり、大砲は馬または車両で牽引するか、大砲を分解して馬に搭載するか、あるいは、戦車のように完全に自走して移動するか等、いづれにしても人力以外の畜力や機械的動力を主要な手段として移動する部隊なのです。勿論、山砲部隊では、時には脾力搬送も行った様ですが、馬に搭載して移動するのが基本です。しかし、占守島の砲兵には畜力や機械的動力を使用せず、徒歩で大砲を肩に担いで移動する砲兵があったのです。

 この部隊は独立臼砲を装備した砲兵部隊で、この臼砲部隊はシンガポールやフィリッピンの対要塞戦や沖縄やサイパンの島嶼防御にも使用されています。北千島では独立臼砲第18大隊と同第19大隊が配備されていました。第19大隊は幌筵島に配備され、第18大隊は主力は占守島に、第1中隊が温祢古丹島に配備されました。この独立臼砲第18大隊第1中隊はまさに大砲・弾薬・糧秣・諸資材を手で持って温祢古丹島を縦断し、さらに、占守島へ転進するときに中隊の半分が全滅するという悲劇を味わった部隊です。

(温祢古丹島及び北千島海域の航空写真)


 中隊は昭和19年6月下旬に温祢古丹島に到着すると、命令により、港を有する大泊地区に一個小隊(4門)を配置し、中隊主力は港から約15km離れた土持川に前進することになりました。道路は全くなく、島に到着した昭和19年6月下旬から7月中旬まで明けても暮れても毎日、杉丸太とロープだけで大砲・弾薬・糧秣・諸資材の運搬を行いました。

 やっと予定の地域に陣地を構築して、一息ついた昭和19年11月に、この第1中隊主力は配備変更のため、突然、20km近く離れた島の北に位置する根茂地区に移動を命ぜられました。この根茂地区に移動するのも、道らしい道はなく、さらに、標高506mの山が険しく立ち塞がっているのです。とに角前進せねばならない。砲もさる事乍ら、直径三十二センチの砲弾が更に難物でした。一発が弾頭・弾体・弾尾に分れ、厚板の梱包で嵩張って重く、一人で運べるものはありません。兵器だけでは無く、一切の物資は補給の見通しが無いので、何れも貴重な物で残せる物はありませんでした。

(米軍撮影の98式臼砲の写真と大隊慰霊碑横に建てられたマル九臼砲弾模型の写真)


(陸軍火砲写真集編算委員会編「陸軍火砲の写真集」よりコピー)


 背負えぱ一人でも運べる物.、二人なら動く物、四人掛らねば運べぬ物、夫々に区分して前進に移りました。何度も休まねば一気には進めませんでした。隊長も将校も軍医も、空手で歩く者は一人も居りません。同じ道を何回も往復して少しずつ前進を続けました。

 五〇六高地の山頂に出た時には、烈しく吹き付ける風は雪混りになっています。広い海原を思う存分吹き暴れた風は、その儘の勢で真横に突抜けたから、山頂附近は真直には歩けませんでした。足許の石を投げ上げて見ると、真横に吹飛ぶほどで、その烈しさを物語っていました。

 このような苦労をして、中隊が根茂山東麓で天幕露営に入ったのは、既に十二月に入っていました。これでやっと落着いたと思う間も無く、千島は吹雪が烈しく、天幕越冬は困難だから、速かに風雪に耐え得る越冬準備をせよとの指示で、急遽、蓬莱湖東側に木造兵舎を構築し、やっと昭和20年の正月が迎えられました。

 昭和20年の春になると、内地防備の強化を図るため、部隊の抽出が行われ、それに伴い蓬莱湖西側の転出部隊跡に移動を命ぜられました。この移動は舟艇による湖上移動が利用できたので容易に移動は完了しました。

 これで落ち着けるかと思う間もなく、中隊は7月下旬に占守島に前進を命ぜられました。移動は漁船を利用した海上輸送でしたが、輸送能力が低く、全中隊の同時輸送は困難のため、2回に分かれて前進することに決め、中隊主力及び大泊に残した部隊のそれぞれ半分を占守島に向かわせました。この部隊は無事占守島に到着し、それぞれ命ぜられた配備に着きました。

 温祢古丹島に二回目の艇団が入ったのは、8月12日でした。根茂・大泊からそれぞれ別々に出港した船は、不幸にも相前後して米艦隊に発見され、一斉に砲火を浴びせられ、9隻の船の内8隻は撃沈、1隻は大破され、88名が戦死しました。大破された船に乗っていたわずか7名が負傷しながらも命を取り留めるという状況で、まさに全滅したのでした。

 国を守ろうという熱意の下に、重い火砲・弾薬を肩に担いで、500mを越す標高の山を乗り越えて、数十kmの道を歩いた苦労は残念ながら実を結びませんでした。しかし、この苦労を知っている戦友は、占守島で臼砲弾を発射し、不法に上陸したソ連軍に損害を与え、勇敢に戦いました。停戦後直ちに、ソ連軍が重砲を探しに来た事実があった事は、如何に臼砲弾を脅威に感じていたかを示しています。これら亡き戦友の分まで戦おうとした成果に違いありません。

(参考資料 「無窮」(独立臼砲第18大隊誌)土井喜好編 及び 「北洋の華」 (同大隊第1中隊誌)丸山 正著)



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文責 山  本  晃  三

(占守島守備部隊戦死者遺族)

 

2006.7.25作成