占守島の戦いの教訓

 占守島の戦いの後、この占守島で戦った兵士及び戦闘もしていないその他の千島列島所在の兵士は総て捕虜としてシベリアに抑留され、極寒の地で数年間、強制労働に従事させられたのでした。そしてその約一割の方は現地で亡くなられています。これらの兵士であった方の思い出の記が数多く残されていますが、そこには、

 @日本と不可侵条約を結んでいるソ連が、その条約の有効期間中になぜ日本に戦争を仕掛けてきたのか?
 A連合国のポツダム宣言を受け入れ降伏した日本の占守島に、なぜソ連が武力で奇襲攻撃を仕掛けてきたのか?
 B昔からの日本の固有領土内で防衛していた兵士が、降伏したとはいえ、なぜソ連の極寒の地に連れて行かれて強制労働に従事させられなければならないのか?

 

 という疑問の言葉が多く残されています。この時には米国・英国はヤルタ会談でソ連に不可侵条約を無視することを勧めているのです。いま国際的に問題になっている開発途上国の核開発の問題あるいは、竹島や尖閣諸島付近の領土問題や環境の問題にしても、相変わらず自国の利益が優先し国際間のルールは軽視するということは続いています。日本国は国際ルールは絶対守らなければなりませんが、他の国も絶対守るかどうかは分かりません。この占守島やシベリアでご苦労された先輩の方々の尊い経験を生かして、末永く日本が繁栄して行くためには、国民の一人一人がこのことを肝に銘じて、国のありようを考えてゆく必要があると思います。また、このことは子々孫々にまで伝える必要があると思います。


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文責 山  本  晃  三

(占守島守備部隊戦死者遺族)

 

2006.7.25作成