占守島第九十一師団の心遣い

 終戦の時に、占守島には日魯漁業の従業員の方が二千五百人ほどいました。この人たちは国民の食糧確保の為に悪い戦局を承知で、缶詰工場で働いていましたが、その中には約四百人の若い女子工員も混じっていました。終戦を迎え、内地からの迎えの船が来れば真っ先に彼女たちを送り返す手筈を整えているところへのソ連軍の攻撃でした。

 参謀長と世話役の大尉は「このままでは必ずソ連軍に陵辱される被害者がでる。なんとしてもあの娘たちを北海道へ送り返そう」と相談し、当時島にあった独航船二十数隻に約四百人を分乗させ、霧に覆われた港から北海道に向けて出港させました。ソ連機の爆撃が続く中、日本軍も高射砲の一斉射撃で必死の援護を行い無事に出港させることが出来たので.す。

 「全員、無事に北海道に着いた」との電報が島に届いたのは、それから五日後でした。

 停戦後に上陸してきたソ連軍は女性を捜し回ったそうですが、あとの祭りでした。

 もし、彼女たちがいち早く島を出ることが出来なかったことを想像すると、占守島の第九十一師団の心遣いが人ごとでなく心にしみます。

(士魂会事務局編 靖国神社遊就館内の常置配布資料よりコピー)


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文責 山 本 晃 三

(占守島守備部隊戦死者遺族)

 

2006.7.25作成